浜松医大・女子医大生殺人事件

浜松医大・女子医大生殺人事件 平成2年(1990年)
 平成2年5月3日、浜松医大を卒業したばかりの松本秀子さん(24)が、静岡県浜松市半田町のマンション自室で殺害されているのが発見された。娘からの連絡がないことを心配した父親のナオ仙(なおひさ)さん(51)が、マンションを訪れ、殺害されている秀子さんを発見、110番通報したのである。
 静岡県浜北署は殺人事件と断定、捜査本部を設けて本格的な捜査を始めた。司法解剖の結果、死後2、3日が経過していて、死因は首に絞められた跡があり窒息死とされた。
 秀子さんは、この春に浜松医大医学部を卒業。4月に医師国家試験を受験し、5月16日の合格発表を心待ちにしていた。医師国家試験合格後は、浜松医大付属病院の小児科で研修する予定であった。秀子さんは、小児の白血病に興味を持っていた。
 さらに前年の秋には同大出身の5つ年上の医師と婚約しており、結婚を予定していた。4月半ばまで婚約者と暮らしていたが、婚約者が転勤となったため、4月25日に浜松医大病院に近いマンションへ引っ越した。引っ越しからわずか1週間後の悲劇であった。
 遺体は8畳間に全裸でうつぶせに倒れており、首にはひものようなもので絞められた跡があった。犯人が眠っていた秀子さんを襲い、ベッドから引きずりおろしての犯行とされた。
 捜査本部は、秀子さんの部屋の鍵が開いていて、部屋を物色した形跡がないことから、犯人は何らかの面識のある者とみていた。また近所の人も争う物音を聞いていなかった。秀子さんは、「浜松医大祭」のミスコンテストで女王に選ばれるほどの美人であったが、秀子さんは用心深く、鍵を掛け忘れることは考えられなかった。
 5月11日、浜北署は秀子さんに部屋を斡旋した不動産会社の日栄建設工業営業第1課長・油井伸太郎(48)を殺人容疑で逮捕した。油井伸太郎は部屋を管理する立場にあったことから、秀子さんが殺されたマンションの予備の鍵を使うことができた。会社で保管している合鍵を用いて秀子さんの部屋に侵入。秀子さんに気付かれたため、首をひもで絞め窒息させたのである。油井伸太郎が捜 査線上に浮かんだのは、油井が所有する黒のフェアレディーZだった。犯行があったとされる時間に、マンション前の駐車場にフェアレディーZが止めてあるのを近所の住人が目撃していた。この目撃情報をもとに、警察は数日前から油井の犯行とみて捜査していた。
 また秀子さんの部屋には眼鏡のレンズの破片が落ちていた。そのため捜査員は浜松市とその周辺の眼鏡店を調べてまわった。犯行があった4月29日夜以降、眼鏡を買った者、修理に来た者を調べ、その結果、部屋に落ちていた眼鏡のレンズの破片と同じ度数の眼鏡を買った客を突き止めた。この証拠を突き付けられ、油井伸太郎は「暴行目的で侵入したが、騒がれたので殺害した」と自供した。
 松本秀子さんの部屋の鍵は、1つは秀子さんが紛失、もう1つは秀子さんの定期入れから見つかり、残りのもう1つは部屋を斡旋した不動産会社が管理していた。つまり秀子さんの部屋を外から開けるには、不動産に置いてある鍵を使うしかなかった。通常、賃貸アパートやマンションの鍵は3つで、2つを居住者が持ち、1つを大家か不動産業者が保管している。管理者が鍵を持つのは、入居者が不在時の火災などに対応するためである。
 日栄建設工業は鍵を専用ケースに施錠して保管し、担当者か上司以外の者は使用できないようになっていた。秀子さんが入居したときの担当員は、逮捕された油井伸太郎の部下で、油井は鍵を持ち出せる立場にあった。油井は2年前から、会社にあった契約書を見ては、女性のアパートの鍵を会社から持ち出し20数個の合鍵を作っていた。
 油井伸太郎は、秀子さんと同じ浜松市内の進学高校の卒業生であった。成城大学を卒業して、大手の自動車販売会社に就職。その後、自動車販売業、コンピュータ販売など職を転々とし、昭和61年8月に日栄建設工業に入社し、入社2年後に営業第1課の課長に昇進していた。
 油井伸太郎は社内では有能な営業マンで通っていた。2000万円の分譲マンションに住み、いつもキッチリしたスーツに身を包んでいた。しかし油井伸太郎には暗い過去があった。昭和57年4月、自分が経営していた自動車販売店が倒産。その借金の穴埋めのため、仲間2人と偽装交通事故を起こし、約1200万円の保険金詐欺で、懲役3年の有罪判決を受けていた。
 平成3年4月23日、静岡地裁浜松支部で油井伸太郎の公判が開かれた。検察側は「犯行の計画性と確定的殺意」を、弁護側は「偶発性と未必の殺意」を主張した。三関幸男裁判長は「首を絞めれば死に至ることは分かったはず」として検察側の主張を認め、犯行は自己中心的で残忍として、懲役18年(求刑懲役20年)の実刑判決を言い渡した。
 秀子さんの遺族は日栄建設工業を相手取って、総額約2億1000万円の損害賠償請求訴訟を起こした。遺族は「合鍵を自由に作ることができた会社にも責任がある」と主張、会社の管理がずさんだったこと、素行不良者を課長に登用した人事管理に問題があったと指摘、「会社が犯行を誘発した」とした。会社側は「勤務態度に問題はなく、犯行は予見不可能だった。初めから乱暴が目的の犯行で、会社の業務とは関係ない」と反論した。
 この裁判では、会社側の人事管理と監督責任の有無が争われたが、平成6年2月7日、静岡地裁は会社に1億7000万円を支払うように命じた。裁判長は「鍵管理という職務を利用した犯行」とし、従業員の行為について使用者責任を明確にした。判決では「犯行は職務上知り得た情報に基づき、職務上取り得た手段を行使していることから使用者に責任がある」として、民法第715条の使用者責任を適応したのだった。
 部屋の管理について、不動産会社は安全を守ることも業務であるから、「鍵を開けて入る行為は不動産管理行為」と判断したのであるが、使用者責任が殺人犯に適用されたのは、まれなことであった。
 秀子さんが亡くなってほぼ半月後の平成2年5月16日、医師国家試験合格の通知が届いた。小児科医を夢見ていた秀子さんの霊前に、両親が「遅すぎた吉報」を涙ながらに報告した。